2022年3月
2022/3/6
一時的とは言え、労働から解放されたのに気分が晴れない。かつてエーリッヒ・フロムや坂口安吾が説いた様に「自由である事・堕落する事」が苦難の道であると日々実感している。常に満ち足りない感じでもどかしい。
2022/3/7
常に「何か違う」って思いを抱えている。この正体に気付かないまま日々を惰性的に過ごしている。危険だ。どう考えたって、死が見えてきた時に後悔するだろう。
2022/3/10
退職してから1ヶ月が経過したが、この期間で何か出来たのだろうか?会社に居た頃は、毎日が辛くて辞めたいと思っていた。自分の力で生きていない無力感、自分のするべき仕事を自分で選べない立場の低さ、協力ではなく依存してくる同僚の存在、古臭い規則に従わないといけない屈辱。毎日心を曇らせていた。耐えられなくなって退職したが、結局の所、心が晴れる事は無かった。
「何かをする為の自由」ではなく「何かをしない為の自由」を求めても、得る物は何も無かった。
2022/3/11
熱しやすく冷めやすい自分の性格。興味関心が直ぐに変化するこれは、「気分屋」とも言える短所だ。しかし、「好奇心旺盛」や「切り替えが早い」って長所でもある。大切なのは、「鉄は熱いうちに打て」と言う事だ。熱しやすく冷めやすいのだから、重視すべきは「熱量」。長期間熱を保つ事は出来ないから、短いスパンで完結出来る物事の中から「熱」を感じられる物を探さないといけない。思い立ったら直ぐ動く。違うと感じたら直ぐ辞めて、また探し始める。生きてる事が熱を持つ事と同義であるならば、薪を焚べ続けなければならない。
2022/3/14
今の自分は、輪郭が曖昧だ。本来頼るべき自己の内面が枯渇している。故に、内省による自己理解が大切なのだが、これが苦しい。心の欠落を「自分」で埋めないといけないのに、解を「他人」や「他人の創作物」に求めてしまう。何となくだが、「他人よりも劣っている自分」を受け入れないと先に進めない気がする。
2022/3/15
かつてのフランクルの様に、ナチスに捕まって強制労働に従事させられている訳でもない。現在のウクライナの様に、活動が極端に制限されている訳でもない。自分の意志さえ有ればやりたい事をやれる環境にある。そんな自由が許されている。自分が恵まれた環境に居ることを自覚すべきだ。
2022/3/27
現在の、無為な時間を垂れ流しているだけの生活をカール・ヒルティが見たら何と言うのだろうか?彼ならきっと、「特別な才能や条件に左右されない、現実的な目標を持とう。自分の性格や力量に見合った、そんな活動が君には必要だ。」みたいな事を言いそうだな。
・感情的な人間なので、どんな相手とも一定の距離を保つ。
・雑だけど速く仕上げて、後から修正していく。
・視覚優位なので、口頭でのやり取りは避ける。
上記を考慮した活動が必要だ。自分は、才能溢れる人間でもなければ、資産家や政治家の子供みたいに、生まれながらにして持っている側の人間でもない。何処にでもいる平凡な人間の1人だ。
だからこそ、「自分は何をする事が出来る人間なのか?」「自分が水を得た魚として生きられる場所は何処なのか?」この問いに対して自分なりの解を出し、自分で自分を救わなければならない。
2022年4月
2022/4/1
新学期や新年度、多くの人にとっては喜ばしい日だと思う。勿論、その胸の内には人それぞれの不安があるのだろうが、それは未来への希望に根差した不安だから…何と言うか、羨ましい。
そう感じてしまうのは、今の生活には未来が良くなっていく感覚が無いからだ。
思えば、親元を離れてから10年経つ。あの日、故郷から出た日の自分が今の自分を見たら、何を思うのだろうか?仕事が長続きせず、友と呼べる存在も恋人も居ない。何者かに成るための努力や挑戦をせず、無為な時間を垂れ流して日々を過ごしている。分からない、苦しい、つまらない等のネガティブ感情に支配されている。そんな人間が10年後の自分の姿だと知ったら何を思う?
未来の自分に失望するのだろうか?「それでも」と肯定するのだろうか?そんな情けない奴には成り下がりたくないからと努力するのだろうか?どんな目で見られるのかを考えると、怖い。
もし、10年前の自分にメッセージを送れるとしたら、どんな言葉を伝えるべきだろうか?
「他人に依存する行為は絶対に辞めておけ。精神的に依存して不満や愚痴を相手に聴かせたり、自分はこんなに頑張っているんだから褒められて当然、何かしらの報酬があって当然みたいな考えを持つな。自分を中心にして物事を進めようとすると、誰かと衝突するし、居場所が無くなるぞ。」
「自分の頭で物事を考える様にしないと、人生を無駄にするぞ。相場を知らずに相手の言い値で取引したり、大切な選択を責任を持たない他人からのアドバイスで決めたり、何かあると直ぐ他人や社会のせいにする様な醜い人間になってしまう。そんな奴と長期的な友好関係を築きたいと思うか?精々、短期的に利用されるだけの関係で終わる。良い人生を送るには、他人との良い関係が必要になる。その事を忘れるな。」
2022/4/2
何故、これまでの仕事は長続きしなかったのか?理由は様々だが、最大の要因を挙げるとすれば、「自分に選択権が無かった事」だと思う。自分で選ぶ事が出来ず、他人から強制される事に耐えられない。つまり、仕事そのものが嫌なのではなく、仕事が嫌になる様な働き方をしていただけ。
じゃあ、「選択権を手放さない仕事・働き方」って何?多分、アランが言う所の「自分の畑を耕す」これが答えになると思う。他人の畑で働くのであれば、当然「他人の畑のルール」に縛られる事になる。自分の為ではなく、他人の為に働く事になる。これまでの仕事がそうだった様に、そんな環境では心が擦り減って耐えられなくなる。だから、「自分の畑を耕す」事が大切なんだ。畑を耕す上で大切なのは「楽しんで続けられる」この一言に尽きる。畑の作物が一朝一夕で育つだろうか?天候や害虫等の外部要因から影響を受けないなんて事が有り得るのだろうか?収穫までの道程は長く、精神的に苦しい事も多々あるだろう。そんな時でも滅気ずに立ち向かうには、やはり「楽しい」と言う気持ちが必要だ。
他人の目や社会の常識なんて気にしなく良い。自分が楽しいと感じる事を探して、それを畑として耕していく。それをしている限り、きっと自分の人生を嫌いになる事はないのだろう。
2022/4/10
複雑な社会の中で身に纏っているメッキを剥がした時に、自分には何が残っているのだろうか?
他人次第で価値が変動するものではなく、自分次第で価値が決まる絶対的なものを追い求めたい。
2022/4/11
人生何が起こるか分からない。考えも行動も、その時々に応じて変化していく。苦手だと思っていた事でも続けていれば好きになる事もあるし、必要ないと思ってる事でも自分が認識出来る世界を広げるのに役立つ場合がある。
だから、「どんな物事でも中庸に受け入れて眺める」そんな心の余裕を大切にしたい。
2022/4/12
成功している人達を見て羨ましがっている場合じゃない。そもそも彼らが成功するまでに費やしてきた時間や労力これまでに味わってきたであろう屈辱や侮辱を無視して、成果だけを見て嫉妬するのは間違っている。画面の向こうの彼らは、蛹の期間を経て成虫になった人達だ。
それに対して、自分はまだ蛹ですらない幼虫だ。自分がどんな成虫になりたいのかも理解していない、考えようともしない。ただ、成虫になった彼らの綺麗な羽を見ては「良いなぁ」と羨んでいるだけの哀れな幼虫。誰しも、一足飛びに成虫にはなれない。誰かが自分に羽を付けてくれたりもしない。自分で変わらないと、他人から批判されたり心無い言葉を投げられても未来を信じて行動し続けないと駄目だ。蛹の期間を耐え忍んで努力をするのが嫌だと言うのであれば、幼虫として一生を終えるしかない。
自分はどんな成虫になりたいのだろうか?誰かに飼い慣らされた愛玩ペットとして生きたいのか?その生き方は、飼い主に飽きられたら直ぐに死ぬ。大切なのは、自分の力で餌を取れる様になっている事と、自分の身を守れる巣を持つ事。「誰かに飼育して貰わないと生きていけません。」なんて言ってる弱虫にはなりたくない。多くの人が羨ましいと感じる様な綺麗な羽でなくてもいい。例え泥だらけの汚い羽だとしても、自分の力で飛べるのであればそれでいい。「自分の羽を力強く動かして命を燃やす」そんな生命で在りたい。
2022年6月
2022/6/4
「手段」にばかり囚われて、「目標」の部分を蔑ろにしてきた。その結果が現状だ。「何の為にするのか?」をまず考えてから「どうやってそれを実現するのか?」を考える。ゴールを明確にして、現在地を把握し期日を決める。そこまでやって初めて、目標達成可能な手段を考えるんだよ。
2022/6/5
今日から行動を起こさないと、「行動しなかった」という事実に自己肯定感が削られる。
2022/6/30
自分の性格を考慮すると長期的な活動は向いてない。短期で、それこそ1ヶ月以内で完結させられる何かを積み上げていく活動が、自分にとって心地良いものになると思う。